天文学者旅行記

フェルメールの旅15:「レースを編む女」と西洋美術 in ルーブル美術館(by WT信さん)

天文学者
ブリュッセルからパリへ向うバスのツアコンの伊藤さんに連絡が入り、どうも明日、ルーブル美術館のフェルメールの「レースを編む女」が展示されている部屋がメンテナンスの為閉室することになっているらしい。

「レースを編む女」を見るためにわざわざパリまでやってきたのだから、というわけで、急遽パリに着き次第、「レースを編む女」だけを見るためだけにルーブルに急行する事になった。

「レースを編む女」の展示されているルーブル美術館・リシュリュー翼3階の37・38号室に直行。

明るいが全く無地の壁をバックにレース編みに熱中する女性像。

「レースを編む女」は縦23.9・横20.5cmのフェルメールの作品中最も小さい作品。
閉館間際の時間帯の為、我々だけが鑑賞者だったのは幸運だった。

ルーブル美術館にはフェルメールの「天文学者」という作品がもう1点有るのだが、どこかに出張中で見ることが出来なかった。

やや遅い夕食で、ホテルに入ったのは午後10時半。

翌朝改めてルーブルへ向い、現地の日本人ガイドの案内で、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケを皮切りに、イタリア、フランドル派、フランスの絵画を鑑賞。


掲示した「レースを編む女」と「モナ・リザ」の絵は「ヴァーチャル絵画館」(旧アート at ドリアン  Arts at Dorian)からお借りしました。
  • http://step.weblike.jp/

  • 【旅行時期】2008/12/10~2008/12/11
    【エリア】パリ
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】WT信

    重文縁起の寺を散策(by kakusanさん)

    天文学者
     寺町を中心に由緒ある寺を訪問するさるくコースである。所長さんの説明がありよく理解できた。医王山延命寺に始まり、光栄山長照寺、海雲山皓台寺、正覚山大音寺、大谷山大光寺、最後に聖寿山崇福寺と廻った。延命寺は真言宗で山門は長崎奉行所立山役所の門を移築したといわれている。長照寺は日蓮宗で江戸時代の天文学者西川如見の墓がある。皓台寺は曹洞宗で長崎山大寺の一つで楠本イネ、タキの墓がある。要人の墓が多い。大仏坐像は高さが3.4メートルある。大音寺は三山大寺の一つで浄土宗である。フエートン号事件で切腹した長崎奉行松平康平の墓がある。開山伝誉上人の石碑があり、石碑を背中に乗せた巨大な亀がある。完成までに60年もかかったそうである。大光寺は襖絵は狩野派の森陽信の作がある。崇福寺は黄檗宗で福建省出身者が帰依し福州寺といわれている。国宝が第一峰門で門扉の蝙蝠と牡丹の花は縁起物である。大雄宝殿は金属製の内臓をもつのは国内唯一最古のものといわれる。崇福寺三塔には中央に隠元禅師の寿塔がある。髪が埋められている。途中曼順製菓に寄り中国菓子よりよりを試食した。中島川にかかっている橋の説明を受けた。寺町のお寺に向かう方が橋名はひらがなで書いてあり、離れる場合に漢字で書いてある。国土省で橋もスタートとゴールが必ず決まっている。昔は橋名も番号だった。眼鏡橋は10番目だった。かなり墓を上り下りしたので疲れた。隠元の墓で解散になった。

    【旅行時期】2008/11/26~2008/11/26
    【エリア】長崎
    【テーマ】
    【投稿者】kakusan

    ルーブル美術館 フェルメール(by 旅する人さん)

    天文学者
    ルーブル美術館には、フェルメールの作品が2点あります。
    「レースを編む女」と「天文学者」です。

    「レースを編む女」は、1670年頃に描かれた作品です。
    23×21cmの板に張ったカンヴァスに描かれた油彩画です。

    「天文学者」は、1668年に描かれた作品です。
    こちらは、51×45cmの油彩画です。

    2作品とも小さな作品ですし、リシュリュー3Fの展示室38の片隅に
    ひっそりと展示されていますので、どうぞお見逃しなく!

    【旅行時期】2007/12/03~2007/12/10
    【エリア】パリ
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】旅する人

    ポーランドの旅【12】 地動説コペルニクスの生誕地 トルン(by さすらいおじさんさん)

    天文学者
    トルンはヴィスワ川沿いの琥珀の交易で発展した人口約20万人の街。1454年にトルン市民軍の蜂起で破壊された、ドイツ騎士団城跡がヴィスワ川沿いに残っている。ドイツ騎士団の根拠地の一つであった影響でドイツ風の建物の街並みで、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
    トルンは地動説を唱えたコペルニクス(1473-1543年)の生誕地として知られている。コペルニクスはクラクフのヤギェウォ大学で学んだ天文学者であり、聖職者でもあった。1530年頃に地動説の概説を友人に送り、1543年に地動説「天球の回転について」をコペルニクスの死後に出版している。一方、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)が地動説を唱えたのは1609年だからコペルニクスの地動説の70年も後のことだ。ガリレオは1616年教皇庁から地動説の教授を禁止されたが1632年にも地動説を含む「天文対話」を出版したことから1633年にローマで宗教裁判にかけられ地動説を捨てることを強要された。有名な「それでも地球は動いている」の独り言を生み、以後もフィレンツェ郊外で監視付きの生活を余儀なくされている。ガリレオが公に弾圧されたのにコペルニクスに咎めが無かったのは、コペルニクスは友人にしか自説を伝えず、また出版も死後であったことで教皇庁の問題まで発展しなかったからだそうだ。それにしてもローマ・カトリック教会が天動説の誤りを認めたのも近年のことで、聖ヨハネ・パウロ2世を引き継ぐドイツ出身の新法王も保守的だと聞いた。社会主義体制を崩壊に追い込んだ聖ヨハネ・パウロ2世だが、同様に離婚を認めないなど非現実的な法典を堅持するローマ・カトリック教会は約6億人の信徒を擁する世界最大のキリスト教教会といえども、いずれ宗教改革の嵐になるのではないだろうか、とコペルニクスの生家を見学しながら考えていた。
    (写真はトルン旧市街広場のコペルニクス像)
    【ポーランドの旅、完】

    【旅行時期】2005/05/05~2005/05/12
    【エリア】トルン
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】さすらいおじさん

    ポーランドの旅【6】 前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世を育てた街 クラクフ(by さすらいおじさんさん)

    天文学者
    クラクフは人口約75万人のポーランド南部の商工業・文化の中心都市である。この街にある1364年創設のポーランド最古のヤギェウォ大学は前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世や天文学者のコペルニクスも学んだ名門大学。
    クラクフは1386~1572年、ワルシャワ遷都までヤギェウォ王朝の首都として栄え、歴代の国王が居住していた。ワルシャワなどの他都市が第2次世界大戦で壊滅的な破壊を受けた中、ナチスドイツの軍司令部が置かれていたこの街は戦災をまぬがれ、中世の美しい街並みは1978年にユネスコの世界遺産に登録されている。クラクフには映画「シンドラーのリスト」の舞台にもなったユダヤ人ゲットーがあり、アウシュビッツなどで犠牲になっている。ポーランド人の圧倒的な尊敬心を集めている前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世はヤギェウォ大学で学んだ後もクラクフのカトリック教会を中心にバチカンに招かれるまで40年間奉職され、市民とともに第2次世界大戦中はナチスドイツの蛮行に、終戦後はソ連の社会主義の圧政に苦しまれた。ローマ法王時代に100カ国以上を訪問し、世界平和を訴え続け、そしてソ連の社会主義体制をレフ・ワレサ率いるポーランド統一労働者党「連帯」と協調して崩壊に追い込んだヨハネ・パウロ2世の活力はクラクフが育てたと言っても良いだろう。街には1945年5月8日のナチスドイツ降伏による戦勝記念日を祝うポーランド国旗とともにヨハネ・パウロ2世の逝去を悼む献花がいたるところで見られた。
    (写真は1498年に建造された円形の砦バルバカンの前にポーランド国旗とクラクフ市旗を立てヨハネ・パウロ2世の逝去を悼み、戦勝記念日を祝う市民)

    【旅行時期】2005/05/05~2005/05/12
    【エリア】クラクフ
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】さすらいおじさん

    天文学者の画像